思い出す事など(一)
2020-12-14 10:09 | 编辑:川外外语培训中心  来自:未知 
导读:ようやくの事でまた病院まで帰って来た。思い出すとここで暑い朝夕あさゆうを送ったのももう三カ月の昔になる。その頃ころは二階の廂ひさしから六尺に余るほどの長い葭簀よしずを日除ひよけに差し出して、熱ほてりの強い縁側えんがわを幾分いくぶんか暗くし

ようやくの事でまた病院まで帰って来た。思い出すとここで暑い朝夕あさゆうを送ったのももう三カ月の昔になる。その頃ころは二階の廂ひさしから六尺に余るほどの長い葭簀よしずを日除ひよけに差し出して、熱ほてりの強い縁側えんがわを幾分いくぶんか暗くしてあった。その縁側に是公ぜこうから貰った楓かえでの盆栽ぼんさいと、時々人の見舞に持って来てくれる草花などを置いて、退屈も凌しのぎ暑さも紛まぎらしていた。向むこうに見える高い宿屋の物干ものほしに真裸まっぱだかの男が二人出て、日盛ひざかりを事ともせず、欄干らんかんの上を危あぶなく渡ったり、または細長い横木の上にわざと仰向あおむけに寝たりして、ふざけまわる様子を見て自分もいつか一度はもう一遍あんな逞たくましい体格になって見たいと羨うらやんだ事もあった。今はすべてが過去に化してしまった。再び眼の前に現れぬと云う不慥ふたしかな点において、夢と同じくはかない過去である。
 病院を出る時の余は医師の勧めに従って転地する覚悟はあった。けれども、転地先で再度の病やまいに罹かかって、寝たまま東京へ戻って来こようとは思わなかった。東京へ戻ってもすぐ自分の家の門は潜くぐらずに釣台つりだいに乗ったまま、また当時の病院に落ちつく運命になろうとはなおさら思いがけなかった。
 帰る日は立つ修善寺しゅぜんじも雨、着く東京も雨であった。扶たすけられて汽車を下りるときわざわざ出迎えてくれた人の顔は半分も眼に入いらなかった。目礼もくれいをする事のできたのはその中うちの二三に過ぎなかった。思うほどの会釈えしゃくもならないうちに余は早く釣台の上に横よこたえられていた。黄昏たそがれの雨を防ぐために釣台には桐油とうゆを掛けた。余は坑あなの底に寝かされたような心持で、時々暗い中で眼を開あいた。鼻には桐油の臭がした。耳には桐油を撲うつ雨の音と、釣台に付添うて来るらしい人の声が微かすかながらとぎれとぎれに聞えた。けれども眼には何物も映らなかった。汽車の中で森成もりなりさんが枕元まくらもとの信玄袋しんげんぶくろの口に挿さし込んでくれた大きな野菊の枝は、降りる混雑の際に折れてしまったろう。
  釣台に野菊も見えぬ桐油哉かな
 これはその時の光景を後から十七字にちぢめたものである。余はこの釣台に乗ったまま病院の二階へ舁かき上あげられて、三カ月前ぜんに親しんだ白いベッドの上に、安らかに瘠やせた手足を延べた。雨の音の多い静かな夜であった。余の病室のある棟むねには患者が三四名しかいないので、人声も自然絶え勝に、秋は修善寺よりもかえってひっそりしていた。
 この静かな宵よいを心地ここちよく白い毛布の中に二時間ほど送った時、余は看護婦から二通の電報を受取った。一通を開けて見ると「無事御帰京を祝す」と書いてあった。そうしてその差出人は満洲にいる中村是公なかむらぜこうであった。他の一通を開けて見ると、やはり無事御帰京を祝すと云う文句で、前のと一字の相違もなかった。余は平凡ながらこの暗合あんごうを面白く眺めつつ、誰が打ってくれたのだろうと考えて差出人の名前を見た。ところがステトとあるばかりでいっこうに要領を得なかった。ただかけた局が名古屋とあるのでようやく判断がついた。ステトと云うのは、鈴木禎次すずきていじと鈴木時子すずきときこの頭文字かしらもじを組み合わしたもので、妻さいの妹いもととその夫おっとの事であった。余は二ツの電報を折り重ねて、明朝あすまた来きたるべき妻の顔を見たら、まずこの話をしようかと思い定めた。
 病室は畳も青かった。襖ふすまも張はり易かえてあった。壁も新あらたに塗ったばかりであった。万よろず居心よく整っていた。杉本副院長が再度修善寺へ診察に来た時、畳替たたみがえをして待っていますと妻に云い置かれた言葉をすぐに思い出したほど奇麗きれいである。その約束の日から指を折って勘定かんじょうして見ると、すでに十六七日目になる。青い畳もだいぶ久しく人を待ったらしい。

思いけりすでに幾夜いくよの蟋蟀きりぎりす

 その夜から余は当分またこの病院を第二の家とする事にした。

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